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2008/07/17

感謝

7月3日、僕は37回目の誕生日を迎えた。

僕には2人の姉がいる。長姉とは11歳、次姉とは9歳離れている。
僕は、父が44歳のときに生まれた。誕生日の夜、ふと「親父は81なんだなぁ」と考えた。

6日後の7月9日22時頃、僕はイライラしながら信号が青に変わるのを待っていた。
姉から「父・危篤」の連絡を受けて急いでいた。
到着すると、医師が父に心臓マッサージを施していた。
「聞こえてますから、声をかけて下さい」と促されたが、「父さん、俺だよ!」しか出てこなかった。
医師が「みなさん揃ったので、後は自然にまかせましょう」といってベッドからおりた。

母と姉弟3人が見ている前で、父は静かに息を引き取った。
「22時15分、誠に残念ですが、ご臨終です。」
テレビドラマでしか聞いたことのないようなセリフが耳に残った。

身近な死という事実が、こんなにも受け入れがたいものなのかということを思い知った。

眠っているようだった。今に目を開けて「おう、元気か」といいそうな感じで。
でも、父の目は、もう二度と開くことはない。 心停止した父の体は、みるみる冷たくなっていった。

覚悟はしていた。先月、「余命数ヶ月。長くても年内。」といわれ、自宅療養となっていた。
それでも6月の中旬までは歩いてトイレに行けたし、風呂にも入っていた。
1週間前から1人では動けなくなっていたらしい。
当日、風呂に入りたいという父を、母と姉がシャワーを浴びせた。その後、発熱したそうだ。
几帳面だった父は、最後に体をきれいにしたかったのかもしれない。
動けなくなって、母に苦労をかけたくなかったのかもしれない。

父が亡くなったという実感がわかないまま、葬儀場の霊安室に父を預けた。
金曜日の友引を避けて土日で通夜・告別式を行うこととなったので、
翌木曜日は出社し、とりあえず仕事を片付けた。
14日の月曜日からドイツからのビジターを連れて1週間の出張の予定があった。
月・火・水と接待、打ち合わせが続き、今夜はやっと時間に余裕ができた。

しかし、葬儀というのは、なんと残酷な儀式なのだろう。
決めること、やることがたくさんあって、粛々と時間が過ぎてゆく。
棺に入れられた父を見ても、朝になれば目を覚ましそうに見えた。
告別式も終わり、父の棺に花と一緒に僕が小学生の頃に書いた小説を入れた。
司会者が言った。「斎場では、お顔は見られません。最後のお別れになります。」
父とはもう会えないという現実を突きつけられた気がして、涙がこみ上げてきた。
気がついた時には、父は骨になって帰ってきた。やるせない喪失感だけが残った。

僕は、親不孝だったと思う。親孝行といえることをどれだけできたろうか。
親不幸な息子を持った父の81年半の人生は幸せだったろうか。

父は親不幸だった僕をいつも笑って迎えてくれた。やさしい笑顔が素敵だった。
通夜の線香番では何度も何度も線香をあげた。その度に父に向って謝っていた。
でも、本当に伝えたかったのは、伝えなければならなかったのは、謝罪ではない。
父への感謝。僕をこの世に送り出してくれた父に感謝したい。
お父さん、81年半、お疲れ様。そして、ありがとう。

生前の父の希望もあり質素な葬儀にしましたが、通夜には想像以上に多くの方が弔問に訪れてくれました。
ご会葬頂いた皆様には、心から御礼申し上げます。

また、申し訳ありませんが、本記事に限り、コメントはお断りさせて頂きます。

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